宮沢賢治ってどんな童話を書いていたの?
宮沢賢治が描く童話は、大人になってから読んでも心動かされる作品が多いのよ。
宮沢賢治といえば、日本を代表する作家・詩人として有名です。
『銀河鉄道の夜』など、その作品は文学界に大きな印象を残しています。
彼の生きた時代には、画像生成AIなどの技術進歩は存在していませんでした。
しかし、もし彼の時代にこの技術があったら、彼はどのような反応を示したのでしょうか。
宮沢賢治は、自ら水彩画などを遺しています。
実は、賢治には絵画の才能もあったのです。
絵画に鋭い感性で臨んでいた賢治に思いをはせ、Midjourneyを使って彼の世界を再現することに挑戦しました。
「銀河鉄道の夜」
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションという声がしたと思うといきなり目の前が、ぱっと明るくなって、・・・・・
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いよくいいました。
「ああ、しまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
ジョバンニがいいました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」
カムパネルラが、窓の外を指さしていいました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「あれは何の火だろう。赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」
ジョバンニがいいました。
「蠍の火だな。」
カムパネルラがまた地図と首っ引きして答えました。」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青白い雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためならば僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。」
「うん、僕だってそうだ。」
カムパネルラの目にはきれいな涙がうかんでいました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「僕もうあんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。・・・
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
ジョバンニがこういいながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より
「風の又三郎」
どっどど どどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
宮沢賢治「風の又三郎」」より
「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」
「二百十日で来たのだな。」
「靴はいでだたぞ。」
「服も着てだたぞ。」
「髪赤くておがしやづだったな。」
宮沢賢治「風の又三郎」」より
「兄な馬ぁ逃げる、馬ぁ逃げる。兄な。馬逃げる。」
と、うしろで一郎が一生けん命叫んでいます。三郎と嘉助は一生けん命馬を追いました。
宮沢賢治「風の又三郎」」より
そして風がどんどんどんどん吹いているのです。又三郎は笑いもしなければ物もいいません。ただ小さな唇を強そうにきっと結んだまま黙って空を見ています。いきなり又三郎はひらっと空へ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。
宮沢賢治「風の又三郎」」より
みんなは町の祭りのときの瓦斯のような匂いのむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に着きました。すっかり夏のような立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、さいかちの木は青く光って見えました。
宮沢賢治「風の又三郎」」より
「先生、又三郎今日来るのすか。」
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんは昨日お父さんといっしょにもう外へ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」
「先生飛んで行ったのすか。」
~略~
「そうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」
宮沢賢治「風の又三郎」」より
風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。
宮沢賢治「風の又三郎」」より
「セロ弾きのゴーシュ」
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係でした。
けれどもあんまり上手でないという評判でした。
上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾き続けました。
夜中もとうにすぎしまいはじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思うように見えました。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
それから「印度の虎狩り」という譜を弾き始めました。
~略~
「先生もうたくさんです。たくさんですよ。後生ですからやめてください。これからもう先生のタクトなんかとりませんから。」
「だまれ。これから虎をつかまえるところだ。」
猫はくるしがってはねあがってまわったり壁にからだをくっつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまいには、猫はまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
「いやになっちまうなあ。」ゴーシュはにが笑いしながら弾きはじめました。
するとかっこうはまたまるで本気になって「かっこうかっこうかっこう。」とからだをまげてじつに一生けん命叫びました。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
「狸汁ってぼく知らない。」
~略~
「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えといったよ。」
「何を習えといったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それに眠いんだよ。」
「ぼくは小太鼓の係でねえ。セロへ合わせてもらって来いといわれたんだ。」
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
「先生、この児があんばいが悪くて死にそうでございますが先生お慈悲になおしてやってくださいまし。」
「おれが医者などやれるものか。」
「先生、それはうそでございます。先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」
「何のことだかわからんね。」
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
ゴーシュが穴の開いたセロを持ってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなそら見ろというようにいっそうひどく手を叩きました。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より
「猫の事務所」
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。
宮沢賢治「猫の事務所」より
けれども、この事務所の書記の数はいつも四人ときまっていましたから、そのたくさんの中でいちばん字がうまく詩の読めるものが、一人やっと選ばれるだけでした。
宮沢賢治「猫の事務所」より
事務長は大きな黒猫で、すこしもうろくしてはいましたが、眼などは中に銅線が幾重も張ってあるかのように、じつに立派にできていました。
一番書記は白猫でした、二番書記は虎猫でした、三番書記は三毛猫でした、四番書記はかま猫でした。
宮沢賢治「猫の事務所」より
とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。
~略~
それでもみんなはそんなこと、いっこう知らないというように面白そうに仕事をしていました。
宮沢賢治「猫の事務所」より
その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向こうにいかめしい獅子の金色の頭がみえました。
~略~
「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる。」
宮沢賢治「猫の事務所」より
まとめ
いかがでしたでしょうか。
宮沢賢治の世界を、画像生成AIのMidjourneyを使って表現してみました。
宮沢賢治の世界は大人になっても、というより大人だからこそ考えさせられる作品が多くあります。
この画像を見て、少しでも宮沢賢治に興味を持っていただけたら幸いです。
なお、一部の画像は現在NFTアートとして出品しているものがあります。
興味があったら、マーケットプレイスのOpensea,
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買う買わないは別に、見ていただければOKです。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。